
お会いしたのは当時の国土交通大臣だった谷垣禎一大臣。併せて、国土交通省の要職の方々に、ご挨拶とともに協力をお願いしてまわりました。
ところが、政治職である谷垣大臣だけは別でしたが、このときの国土交通省(官僚さんたち)の反応のほとんどは「へぇ、そんな計画あるんですか?」「ホントですか?」「もう何十年も止まってるプロジェクトでしょ?」「たいていは地元市の意向がまとまらなくて頓挫するんですよ」などなど。・・・正直、悪すぎ。口調は丁寧な方ばかりでしたが、あまり相手にされてない感じ。
僕の率直な感想は「むー、ここまで(国にとって)マユツバ状態とは。まずは議論にのせるところからか。」といったところ。この日から、東京に行ったら(別の用事だろうがなんだろうが)必ず国土交通省に寄って進捗を伝える・・・という日々が始まりました。
そんな度重なる国土交通省行脚のなかで、風向きを変えるのに有効だった要素の一つは、箕面市が北急延伸のための基金(交通施設整備基金)を積み立てていたこと。十分とはいかずとも、少なからず準備資金を実際に積み立てているという事実は、箕面市の本気度を示すのに有効でした。
(国)「鉄道計画ってのは、地元市が負担から逃げて頓挫するケースが多いんですよ。」
(市)「いえ、すでに箕面市は26億円の基金を積み立ててるんですよ。覚悟してます。」
(国)「えっ?そうなんですか?」
大阪府も同様の反応。大阪府内でも、ただ「鉄道を作ってくれ」と“求めるだけ”の要望は何ヶ所もありますが、地元市が準備資金まで積み立てて負担を覚悟しているところは箕面市を除いて皆無。おそらく国にとっても珍しいケースゆえに説得力があったんだろうと思います。
僕の就任時すでに(諸先輩が積み立てた)約26億円の基金があったので、平成20年12月補正予算で0.5億円を積み増ししました。・・・ただ、このとき調べてみたら、積み増ししたのは実に14年ぶりとのこと。たしかに、国から忘れられるのもムリはないかも、とも(ほんの少し)思いました。
将来の負担を減らすためにも、少しずつでも計画的に積み立てていくのは家計と同じ。さらに、平成21年4月当初予算で0.5億円、平成22年4月当初予算で1億円を積み増しして、現在の北急延伸基金は約28億円となっています。
また、以前から年一回の定例で秋頃に府議会議員を通じての各市町村から大阪府への要望活動というのがあります。市長就任後すぐの平成20年11月にもあったのですが、もちろん北急延伸をテーマの一つにあげた結果、ここでも大阪府の担当者と(大声で)かなりのやり合いになりました。「箕面市は本気だから、大阪府もちゃんと真剣にやれっ!」みたいな。
・・・終わってから、同席していた府議会議員に「毎年やってるけど、府市でこんな激しいやりあい初めて見た」と苦笑されたのをよく覚えています。
このほかにも、平成21年4月には、市役所に「北大阪鉄道延伸課」を発足させました。
常設の課の設置は、対外的な交渉がメインとなる北急延伸のような仕事には不可欠。こんな風にして着々と組織として腰を据えて物事を進められる体制を整えたり・・・。
さて、そんなこんなで就任から8ヶ月ほどが過ぎ、ようやく・・・本当に「やっと」といった感じですが・・・国にも大阪府にも相手にしてもらえてるかなぁ?と感じるようになってきた平成21年4月、転機の一つが訪れます。
それは、ある日の新聞にデカデカと掲載された「関西鉄道網“環”の完成を」という記事でした・・・。
(北大阪急行の延伸(その10)〜市長に就任してから(下)”に・・・つづく)
【シリーズ:北大阪急行の延伸】
・2010.04.02 北大阪急行の延伸(その1)〜なぜ突き進めるのか?
・2010.04.05 北大阪急行の延伸(その2)〜市民の意向はどうなのか?
・2010.04.08 北大阪急行の延伸(その3)〜鉄道延伸のメリットは?
・2010.04.12 北大阪急行の延伸(その4)〜財政的に耐えうるのか?
・2010.04.20 北大阪急行の延伸(その5)〜知れば知るほど賛同してくれると信じて
・2010.04.27 北大阪急行の延伸(その6)〜行財政改革と北急延伸は両立する?
・2010.05.11 北大阪急行の延伸(その7)〜歴代市長が繋ぐリレーのバトン(上)
・2010.05.18 北大阪急行の延伸(その8)〜歴代市長が繋ぐリレーのバトン(下)
・2010.06.23 北大阪急行の延伸(その9)〜市長に就任してから(上)
・2010.07.01 北大阪急行の延伸(その10)〜市長に就任してから(下)
・2013.12.19 北大阪急行の延伸〜先行してちょっとだけ中間報告
・2014.02.12 北大阪急行線の延伸〜2020年度の開業にむけて
・2014.03.31 決着〜北大阪急行線の延伸の事業化合意