遡れば、すでに12年前(1999年10月)の「箕面市・行政改革推進5カ年計画」のなかで、図書館に対して、「効率的な業務運営への見直しにより人件費の削減を図る」ことを目標に「管理運営について民間委託を検討する」との指摘がされています。
箕面市で初めて「行政改革」というキーワードが語られたのが1995年頃(行政改革推進本部の設置)なので、この1999年というのは箕面市の行政改革の歴史(?)のなかでは、かなり初期の頃。それ以降、数年毎に重ねられてきた行政改革プログラムの類には、必ずと言っていいほど「図書館」が課題として指摘され続けました。

・・・すなわち、「課題視され続けてきたけど、まったく解決もされてこなかった」ということ。
10年以上も解決されてこなかった、その原因はなにか?
僕は主に2つの要因があったと感じています。
1つ目の要因は、図書館が、いわば閉じた組織、特殊な仕事であり、業務の全体像〜細部まで、外からはわかりにくく、本当にどこをどうしたらいいのかを分析しづらいこと。・・・これはどんな業務でもあることなのですが、なかでも図書館には専門職が多く、人材の流動性が少ないため、特に顕著。
他の市役所業務の多くは、人事異動などで経験してる職員も多いため、「こうすればもうちょっと工夫できるのでは」という知恵がそこそこ出てくるし、だいたい見当もつく。そして、他の業務とも比較して考えやすい(ここではこんな工夫してるから、あそこの課でも同じようなことができるんじゃないか?・・・みたいな)。
ところが、専門職が多く、そのほとんどが就職以来ずっと図書館しか経験したことがない「図書館」は事情が違う。限られた職員しか実務を知らないので、外部の誰も「こうすれば工夫できる」と確信をもてない。・・・したがって、なにかのきっかけで、実際に図書館のなかで仕事をしている職員がホンキにならなければ、課題解決への道が見えない。
一般的な組織の課題としてよく語られる「業務のブラックボックス化」というのは、大なり小なりどんな組織でもあるものです。・・・が、箕面市では図書館という巨大な領域がまるごとブラックボックス化してしまっていたこと。このため、どこからどう手をつけていいものか、外からは非常にわかりづらいこと。これが、図書館の課題解決がされてこなかった要因の一つと感じます。
もう1つの要因は、図書館が非常に市民の関心の高い施設であり、なにか見直しを考えようとすると、すぐに"大きな"反対の声があがるため、そもそも見直しがタブー視されてきたこと。
例えば、図書館の課題を指摘した行革へのパブリックコメント(意見募集)では、必ず多数の反対意見が提出されます。それ自体は、どんな分野でもあることなのですが、(あえて強く書きますが)その動きが過剰すぎる印象を受けます。
僕が市長に就任させていただいてからの行革(緊急プラン)のときも目にしましたが、「反対意見を送りましょう!」みたいな扇動的で大きなポスターが、図書館の入口にデカデカと貼られたりもしてました。・・・図書館を利用される方はいろいろなわけですが、その多くの人が誤解するような表現で。
たぶん10年以上前から、大なり小なりこうしたことが繰り返されてきたのだろうと思います。まだ何も決まっておらず、これから知恵を絞ろうとしている段階なのに、あたかも「すでに誤った方向に進んでいる」と決めつけ誤解させるような宣伝行為。・・・これに、政治と行政は萎縮します。票をもらわなきゃいけない政治は特に。(まあ、そういう勇気のない政治が悪いのですが。)
もちろん反対意見はあって当然だし、むしろ議論を熟成させるためにはウェルカムです。でも、こうした「検討そのものを封殺するような雰囲気」や、「見直し検討の"着手"そのものに反対」という、冷静さを欠いた議論では、この時代、良い答えはでないと僕は思います。
なお、そうした図書館の行革反対の動きをされてきた方々にもいろんな立場の人がいるのですが、その一部には、これまで図書館に携わってきてくださったボランティアの方なども(たぶん)おられます。
図書館には多くのボランティアの市民の方がかかわってくださっています。たくさんの図書館がある箕面の場合、特にその意義(=地域に根ざした図書館)は大きい。まさしく、そうした方々の支えがなくては箕面市の図書館の効用は最大化されません。
でも、そうした方々が「図書館を大事にしたい」「図書館を守りたい」というひたむきな想いのみでしてきた反対行動が、内部業務を見直す(工夫する)動きすら抑圧してしまい、図書館業務の多くを古い古い手作業の世界に氷づけにしてきてしまった側面があるのも現実だと感じます。
それは、その方々が悪いのではなく、勇気を出さずに正面からの議論を避けてきた政治や、守られ甘やかされるまま工夫なく甘んじてきた職員の責任だと僕は思っています。・・・実際、僕がここに切り込もうと言い出したとき、「市長の選挙に悪影響があるのでは?大丈夫ですか?」と心配の声をかけてくれた職員もいたくらいでしたから。
正面からの議論を避け続けることは、結果として、図書館が時代に取り残されていくことや、また、時代によっては持続不能となっていく可能性を惹起することになります。反対運動を受け止めず、ただ当たり障りなく収めるというのは、僕は、本当の意味では図書館を大切にしてくださる方々に対してむしろ失礼だし、無責任じゃないかとも思ってます。
少し長くなりましたが、こうした過剰な行革反対の雰囲気に起因して、過去の行政内部では、図書館の見直しを検討すること自体がタブーのような状況になってしまっていたのも現実。これが要因の二つ目だと感じます。
・・・あくまで政治・行政の内側から見るとですが、大雑把に言えば、まさに職員も心配してくれたくらいに「手をつけると痛い目にあいそう」&「中身の見えないブラックボックス」・・・そんな風に映っていたのが箕面市の「図書館運営の見直し」というテーマだったのでした。
あまりこの分野に関わっていない市民の方々にとっては、たぶん「ふーん」って感じだろうと思うのですが・・・。
そんな背景を経て、話は2010年10月頃に戻ります。
「(小野原だけの話ではなく)図書館全体の運営を見直すことで、トータルのコストバランスをとっていくことができないか?」・・・僕にとって、それが打開可能性を模索できる唯一の道として定まりました。
「市長の選挙に悪影響があるのでは?大丈夫ですか?」と心配されても、僕の場合、これがダメなら、もっとしんどい話(別の地域の図書館をつぶすとか)をしなきゃならない状況なわけです。だから、いわば"捨て身"。・・・今こそ、12年以上にわたる箕面の行政改革の黒歴史(?)にピリオドを打つべしと腹を括りました。
これまで手をつけてこれなかった「図書館運営の見直し」。これによって、箕面市全体でどれだけの効果が捻出できるのか?・・・スタートは小野原エリアの問題でしたが、前の記事に書いたとおり箕面市全体のバランスの問題であると気づいた今は、ここが勝負ポイント。
そして、この「図書館運営の見直し」の副次的な効果として、小野原に図書館をつくれるかどうかが左右される。
小野原の公共施設が「ヤマにあがった」2010年10月頃。
それは、僕がそんな覚悟を決めたタイミングでもあったのでした。
(長くて完結しませんでした(汗)・・・次回こそ最終回)