僕自身、選挙(出る側)は3年前に一度しか経験したことはありません。でも、そのときに感じた矛盾は今でもよく覚えてます。それは「選挙にインターネットが使えない」こと。
・・・正確には、使えないわけではありません。
インターネット普及の初期の頃は、たしか「選挙期間に入ったらホームページ“閉鎖”」という扱いだった時代もあったように記憶しています。でも、僕が選挙に臨んだ3年前は「選挙期間に入ったら“更新”停止」がスタンダード(?)になっていたので(=今と同じ)、選挙の告示日前までに書いていた文章や掲載していた資料については、選挙期間中でもそのままインターネットで見ることができました。
ただ、それでも「更新」ができない。
つまり、選挙期間中にリアルタイムで情報を発信することができない。
せっかく目の前にあるツールが使えない。これは不自由極まりないストレスです。
「どこで演説会やるから来て」とか「とにかく投票に行って」とか、変化する選挙情勢に応じてたくさんの人に伝えたいことがある・・・立候補側の事情として、そんな即物的なニーズももちろんあります。
でも、そういう選挙ゴリゴリの情報だけでなく、立候補者にとっては(関係者もそうですが)、実は長い選挙戦であればあるほど、自ら発言を繰り返すなかで、また、有権者と接触し続けるなかで、気持ちや考えが少しずつ変化していったりすることもあるわけです。芯がブレたらダメですが、選挙期間中って、たくさんの人と逢うし、たくさんの話や声を聴くし、考えさせられることが多くて、実は立候補者が一番勉強になるのです。
その結果、選挙期間が始まった直後と、投票日直前では、強調したいポイントが変わっていたりもする。それは政治家としての成長でもあるし(たまにブレてるだけの人もいますが)、有権者とのインタラクティブな交流でもあります。でも、その変化をインターネットではリアルタイムに伝えることができない。
・・・立候補者にとっても、いろいろ伝えたいのに、伝えることができない。
・・・関係者もみんな「自粛」するので、中途半端な情報しか流れない。
・・・有権者にとっても、判断材料がほしいのに、最新の情報が載ってない。
「選挙」の根幹である“情報伝達”に有効なインターネットが、なぜ禁止なのか。時代錯誤もはなはだしい!
実際、当時の僕もそう強く感じましたし、大阪W選挙を目の当たりにした今もその気持ちは変わりません。
世間でもよく語られますし、インターネットの進化とともにその声は強くなる一方です。
フェアな論戦を保障するための公職選挙法が、情報を統制する。皮肉な話です。
でも、今のネット選挙解禁を求める声は、こうした「時代錯誤論」だけに止まってるようにも感じます。
3年前に選挙を経験してみて、「時代錯誤だからってだけで、ただネット選挙のみ解禁すればいい」っていう簡単な話でもないんだなーって思ったのもよく覚えています。
・・・というのは、(あくまで僕の理解の範囲ですが)公職選挙法は、立候補者どうしが「可能な限り同じ土俵で戦う」ことを志向しています。
例えば、公職選挙法は、選挙期間中に配ってよい「紙」の大きさや枚数を厳格に定めています。これは候補者が金にものをいわせて毎日チラシを全戸配布したり、4大新聞に全面広告を毎日載せちゃうような手法を防ぐためです。つまり、財力のある人とない人と、その格差があっても平等に戦えるように。
まあ、土俵やリングにあがるときに、双方、同じ装備が定められてて、好き勝手な凶器の持ち込みを禁止するのって、スポーツでは当たり前ですよね。柔道に木刀は持ち込まないし、ボクシングにナックルは禁止。陸上競技も水泳も、サッカーやテニスも同じ。
公職選挙法の思想は、そういうスポーツのルールにとてもよく似ています。候補者は、決められた手段(だけ)で戦いなさい・・・っていう。
例えば、今の仕組みのままでインターネットを解禁にしたら、理論的には無制限に情報を頒布できることになります(実際のアクセス数はともかく)。そうすると、今のチラシの数量規制が有名無実化します。無数の人がアクセスしますし、さらに、アクセスした人はプリントアウトするかもしれません。チラシだけの枚数やサイズを制限しても、その規制はなんの意味もなくなってしまう。
だから、ただインターネットだけ解禁にしたらOKなのではなくて、紙とか看板とか拡声器とかアナログな世界も含めて「情報頒布」をどこまで許容するか?ってルール全体を見渡さないと、たぶん制度上はネット選挙解禁の答ってでないのです。
僕のなかでもカチッと答をつくれてないんですが、「可能な限り同じ土俵で戦う」ために、今の時代、何をOKにして、何を禁止したらいいか。それをどう一貫したルール(法令)に表現したらいいか。そこを考えないと議論が進まない。
もしかすると、個人の情報発信の自由度が増し、手軽になった現代においては、もはやインターネットも紙もなにもかも、すべて解禁で無制限にしてもいいのかもしれません。・・・でも、例えば、超メジャーサイトが強力に推したら通っちゃうとか、人気ブロガーは無条件で通っちゃうとか、そんな議論になるかもしれません。・・・まあ、それも一つの戦い方なのかも。財力にはインターネットのソーシャルメディアで対抗するとかいう戦いも、情報ツールが溢れた現代社会ならありかも、とか思ったりもします。
そんな視点で「ネット選挙“だけ”解禁論」「時代錯誤論」じゃなくて、全体ルール化をどうするか?の議論がもっと進み、せっかくある情報ツールが候補者と有権者の距離を縮めていくことを期待します。
・・・まあ、来年夏の箕面の選挙には間に合わないとは思いますけど。