
質感を見ると、けっこうお金のかかったステッカーに仕上げていただいているようで、友人のメールでは「いろんなところに貼ってくれと無償で大量配布されてるよ」とのこと。
この件、「同じ土俵に乗るべきではない」という意見もあり、ブログに書くべきか一瞬迷ったのですが、昔から諸先輩方には「他人の誹謗・中傷はするものではない」と教わってきた一方、「いわれなき誹謗・中傷を受けたときには、放置するのではなく、正々堂々と訂正しておくべし」とも教えられてきましたので、少しだけ書いておこうと思います。
この「天下り市長」なるメッセージは、倉田哲郎に向けられたものだろうと思います。
しかしながら、就職して10年ちょっとで国の仕事を辞め(今、無職です)、退路を断ち、信頼していただけるかどうか市民お一人お一人にご判断いただく「選挙」にゼロから臨み、地域に尽くす仕事で頑張りたいと思いチャレンジすることが、どうして「天下り」という言葉になるのか、倉田哲郎にはよくわかりません。
ちなみに、「天下り」を辞書でひいたら、「高級官僚などが外郭団体や関連の深い民間企業の相当の地位に就任すること。」でした。
「選挙」がなければ「天下り」かもしれませんが、市民の皆さんがご判断する「選挙」に“挑戦”することが「天下り」でしょうか。
おそらく、そういうイメージをつけたいのだろうと思いますが、地域の“未来”を左右する市長選挙を、政策や主張ではなく、イメージだけで争おうとするという姿勢には、正直、寂しさを感じます。
藤沢純一市長は、私にとって元・上司でもありますし、得意・不得意やモノの見方は人それぞれですので、あまり批判はしたくありません。
ですが、このステッカーのように、キャッチフレーズやイメージだけに頼ろうとする一方、4年間の赤字財政で市の貯金(基金)を半分にしてしまうなど、本来の市長の仕事に無関心な人だからこそ、この人に自分たちの未来を任せておくことはできないと考え、チャレンジをするものです。
ちなみに、藤沢純一市長(後援会)の「緑のまちづくり通信」の今月号にも、「天下り市長お断り」という記事がありました。ただ、そのすぐ裏面の記事では、「脱ダム問題で話題の宮本博司さん」の紹介として、「官僚であった人が市民の視点から見てしまい、職を捨てて逆の側に立った」という説明があります。
同じ元・官僚ですので、どうせならコチラの仲間に入れてもらいたいものです(笑)。
さて、今日も明日も明後日も、一人でも多くの方々に、倉田哲郎というのが何者かわかっていただくために、ひたすら市内を歩き、たくさんの方とお話をさせていただくつもりです。