この国の暮らしが今に至るまでの間に、たくさんの出来事があって、たくさんの苦難と笑顔が繰り返されてきたことを、改めて涙とともに思い返しました。同時に、自分が大学生の頃、原作本をむさぼるように読んで、自分の行く末に想いを馳せたことも。

・・・僕の場合、一人一人の市民生活に接する“行政の最前線”(=市役所)で想いをまっとうする道を選び、もはや“過去官僚”(というらしいです(笑))となりましたが、そんな僕でも社会に対する想いの原点は今でも同じです。
一方、かつての“自負”と“気概”が失われてしまった今の霞ヶ関の現実。
時代の変遷は、「官僚たちの夏」で描かれているような政策遂行の原動力、すなわち官僚組織のなかの人間くささも失わせてしまったような気がします。省庁再編による組織の超巨大化、人のつながりの希薄化は、今思えばその決定打だったのかもしれません。
個々の官僚は、今もほぼ間違いなく善意で動いていると僕は信じていますが、巨大すぎる組織は個々人の想いを殺します。かつての強い想いと強い結束力を失ってしまった組織は、小回りがきかなくなり、いずれ周囲にとって鈍重な障害物と化してしまう・・・それは大企業も同じこと。
官僚の悪癖が露呈され、激しいバッシングの嵐にある今でも、個々の官僚の多くは善意でしかないと、僕は思います。(・・・ただし、多くが世間知らずであることは否定できませんが。)
個々人が善意であったとしても、もはや組織そのものを変えなければどうにもならない。霞ヶ関がそんな状態にきているなかで、ショッキングなほどの政治主導というのは、今、行政組織を変える唯一の道なのだろうと期待します。・・・というか、そうでなければ困ります・・・失敗したでは済まされません。
もし読んだことがなければ、ぜひ一度、目を通してみてください。
城山三郎著「官僚たちの夏」。
僕も、10数年ぶりにもう一度読みなおそうと思い立ちました。