いくら安定成長の時代だったとはいえ、乗降ニーズのないところに駅ができるわけはありません。その一方で、この地域は「新御堂筋(R423)」「国道171号線」という強力なアクセス道路の交点ゆえに、広大な田畑に“虫食い状のミニ開発の乱発”を招きかねない危険もはらんでいました。

この田んぼや畑が無秩序に乱開発されることなく、整然とした都市核(visolaと周辺地域)を形成することができたのは、平成8年度、故・橋本卓市長の時代に事業化された萱野中央特定土地区画整理事業があったからです。そして、この萱野中央特定土地区画整理事業は、これを引き継いだ梶田功市長の時代、平成15年10月に完成を迎えます。
実際、当時の運輸省(現・国土交通省)からは「需要のない田畑地域に鉄道を早期に延伸する大儀がない。需要があってこそ延伸計画は進んでいく。受け皿づくりを考えてください。」と厳しく指摘されたという話も残っています。
こうした指摘を受けた故・橋本卓市長・梶田功市長は、地元の方々に理解を求めます。これに地元も呼応してくれました。
その結果、例えば、地権者の側(箕面新都心まちづくり協議会)が自ら地権者版「箕面新都心まちづくり基本計画」を作成して、「集客力のある商業施設を誘致する」といった枠組みをつくる努力も重ねられています。
こうして地権者が共同して“集客力のある商業施設”として誘致し完成したのが、カルフール(現・イオン)を含む「箕面マーケットパーク『visola』」。

まさしく、住民参加の「箕面新都心まちづくり協議会」「箕面新都心生活デザイン検討委員会」などを中核に、故・橋本卓市長・梶田功市長の2代にわたって取り組まれてきたまちづくりのコンセプトが、色あせず今でも受け入れられている証と感じます。

このなかのリーディングプラン(重点項目)の1つが「箕面新都心の整備」(←萱野中央のこと)なのですが、同ページには関連プロジェクトとしてハッキリと「北大阪急行線の延伸構想」と明記されています。
そして、実際、この萱野中央特定土地区画整理事業のなかで、故・橋本卓市長・梶田功市長は、(visolaの民営駐車場も十分あるのに)わざわざ市営駐車場&かやの広場を、箕面市の所有地として確保します。
この土地(市営駐車場&広場)は、まさしく北急延伸のときに新設する「(仮)新箕面駅」と駅前ロータリーの予定地。・・・もちろん、この約10000平米の用地確保も地権者の協力あってこそ。

その後を引き継いだのが藤沢純一市長の時代。前市政までに完了したハード整備を前提として、関係者との協議が進められます。そして、平成20年4月には、大阪府・箕面市・阪急電鉄・北大阪急行電鉄の4者で、鉄道延伸の事業化に向けて、国などの関係機関に対する調整を協力していく旨の覚書が締結され、ようやく今に至っています。
現在の僕は、こうした歴代市長の流れを引き継いで存在しています。まさしくリレーでバトンを渡していくが如く、着想から現実のまちづくりへ、それぞれの時代で役割を果たし、一つずつ積み重ねられて、やっと条件が整ってきたのが今です。
歴代市長へのリスペクトを胸に、これらの努力を引き継いだ身として、一気呵成に実現へのステップを踏んでいくこと。自分なりに納得した今となっては、この行動こそが、僕が諸先輩に対してお返しすることのできるすべてだと感じています。
(北大阪急行の延伸(その9)〜市長に就任してから(上)”に・・・つづく)