あの3月11日から、早いものでもう5年。
箕面市は、今でも市役所職員3名を岩手県大槌町役場に長期派遣し、復興支援を続けています。1〜2年を大槌町で過ごし、派遣から帰還した職員たちが必ず口にするのは「まだ道は半ば。被災地を忘れないでほしい。」という一言。
たしかに、あれから全国各地で他の自然災害もあり、ニュースで東北復興の報道も流れ、時間とともに、あのとき多くの人が抱いた切実感が薄れていっている面もあるのかもしれません。
忘れないために。支援を続けるために。次に活かすために。
箕面市では、2013年に、被災地支援に携わった職員たちの手記を記録集としてまとめました。
「東日本大震災 二周年追悼 被災地支援職員の記録集」
あのとき、誰もが、それぞれの立場で「なにかできることはないか?」と必死になりました。その切実感を思い出す一助として、この3月11日の機会に、よければ記録集を眺めてみてください。
また、この記録集(P261)に載せた僕自身の手記「初動〜市役所の裏側で」を、一応、このブログの下のほうに転載しておきます。
そして、復興はまだ道半ば。
それぞれのできることから、被災地支援をよろしくお願いします。
【以下、「東日本大震災 二周年追悼 被災地支援職員の記録集」より転載】
「初動〜市役所の裏側で」(倉田哲郎)
3月11日の14時46分、箕面市内で車のなかにいた僕は、地震にはまったく気づきませんでした。16時頃に市役所に戻ったら、職員がテレビに釘付けになっていて「大変なことになっている」と。
消防本部には緊急消防援助隊の出動要請が届き、当日、出勤していた消防職員は帰宅することなく、その日のうちに、いわば着のみ着のままで東北へ派遣されました。
「これは大変なことになった。」と思いつつも、なにぶん遠い東北の地。消防を送ることのほかに、大阪の小さな市役所ができることってなんだろう・・・と悩みながら、11日の晩遅くまでテレビとインターネットで情報収集を続けたのをよく覚えています。
以降、2人の副市長と市長政策室長と常に相談をしながら、「とにかく動けることをやろう」との合言葉のもとに、混沌としたなかで後方支援をスタートさせたというのが当時の実情でした。
3月11日の晩、Twitter などに次々と流れる情報を見ていると、情けないことに、当日の晩には早くも都心部で「義捐金詐欺」が発生しているとの話が。誰もが感じる「支援したい」という気持ちにつけこむ許しがたい行為。それなのに、有効に防ぐ方法がない・・・すぐに「"市役所"という公的でわかりやすい看板の使いどころだ」と思い至り、翌日から「箕面市役所」という名称を全面に出して義捐金を募ることにしました。
また、「いずれ絶対に自治体としての職員派遣が必要になる。"鉄は熱いうちに打て"だ。」と感じ、「発災直後で誰もが"なんとかしなきゃ"と感じている今のうちに、派遣志願の職員を募ってほしい」と指示を出し、週明けには40〜50名の箕面市職員が名乗りをあげてくれました。これは、現在でも箕面市が職員派遣を継続できている大きな力になっています。
3月12日は土曜日(市役所は閉庁日)でしたが、なんとか準備が整い、お昼頃から箕面市役所での義捐金受付を開始することができました。Twitter でそのことを流すと、すぐに「Twitter で見ました」と寄付にきてくださった方がいたのが印象的でした。この様子を見ながら「人の多いヴィソラで募ろう」と決め、翌13日からは箕面マーケットパークヴィソラで義捐金受付を開始することに。
当時のログを見返してみると、Twitter で22時半に流した「明日13日(日)、箕面市役所が箕面マーケットパークヴィソラ街頭で義援金を募ります(9〜18時)/市が確実に日本赤十字に届けます」という告知が、その日の1時間後には100以上リツイートされていました。たくさんの人の想いが、必死で同じ方に向かっていたのがよくわかります。
同じ12日の土曜日には、僕にとって自治体の情けなさや、当時の混乱ぶりの象徴的な事象もありました。
緊急消防援助隊の箕面市第2陣を、翌日13日に送り出すことが決まったのですが、初日に出発した第1陣が着のみ着のままでいったため、第2陣には先発隊の分も含めて現金を持たせることにしました。厳冬の東北地方、身の回りにある装備を持参したとはいえ、途中で必要なものを調達しなければならないかもしれません。また、1週間程度で帰還する予定ではあるけれど、延長もあるかもしれない、不慮の事態もあるかもしれない、と。
ちなみに消防本部というのは、いつも献身的すぎて、こういうときにも十分な予算を求めません。たしか1人あたり1〜2万円程度が必要と求められたので、「最低1人10万円は用意すること。第1陣・第2陣あわせて15人以上の隊員だから200万円は持たせるように。」と指示をしました。
ところが、市役所の金庫を開けてみたら、入っていたのがなんと3万円だけ。防犯のため現金はすべて金曜日の業務終了後に銀行に預けていたのです。そして、土・日はATMでしかお金をおろせないわけですが、市役所は通帳のみでカードをつくっていません。・・・つまり、市役所は週末に200万円が用意できないという情けない状況だったのでした。
当初は、仕事上、携帯の連絡先を知っていた某銀行の役員さんに電話して、なんとかならないものか相談もしましたが、非常に手間がかかる様子だったので、僕も含めてその場にいた副市長ほか数人で、個人的に現金をおろして立て替えることにしました。本来ならば公費を個人が立て替えるのは(市役所では)公金の取扱い上あまり望ましくない行為なのですが、背に腹はかえられず、焦る気持ちで銀行に走ったのも、当時の混乱ぶりを象徴していたような気がします。
3月13日の日曜日には、僕も街頭で義捐金受付に立ちました。財布を逆さまにして全部いれてくださるような方が、少なからずいて、なんだか涙がでました。小さい子が、小さなお財布を空っぽにしてくれたのも目にしました。
夕方、撤収しようとした募金箱は、重すぎて一人では持ち上がりませんでした。たった1日で200万円超。職員とともに涙ぐみながらの撤収作業でした。
また、義捐金だけでなく「救援物資をどこに持って行ったらいいか?」との問い合わせが多かったので、翌14日からは救援物資も集めることにしました。箕面市社会福祉協議会が名乗りをあげてくれたので、ここで受け付けることに。各地域の地区福祉会の皆さんも物資受付に参加してくれましたし、継続的な体制を組む人手が足りなかったので、翌4月から市役所採用予定の内定者たち(当時、大学生)にも声をかけてなりふり構わず体制を組みました。
実は、救援物資については、募っていいものかどうか躊躇もありました。阪神淡路大震災のとき、全国から大量の古着が送られてきて、現場でさばけず混乱した経験がかなり尾を曳いていました。箕面市役所でも「闇雲に集めて送ったら被災地に迷惑がかかる。被災地で必要なものを確認してからでないと。」という意見もあり、議論になり、最終的には「とにかく絶対に必要なものに限って集めよう。分類して送ろう。」との結論に至り、3月14日(月)から「タオル・毛布(新品に限定)」「消費期限内の食料品(粉ミルク含む)」に限定して救援物資受付を開始したという経緯でした。
結果として、救援物資の受付スタートは、大阪府(+近隣府県?)では箕面市が最速でした。その後もしばらくは募集に踏み切った自治体は少なかったようで、遠く和歌山県から箕面市まで車をとばして救援物資を持参してくれた方や、群馬県から宅急便で箕面市に救援物資を送付してくれた方までいました。
週明けの3月14日から15日にかけて、僕たちを悩ませたのは、集めた救援物資を「どこに」送り届けるかという難題でした。目的地も定めず送り出すわけにもいかない一方で、被災地の市町村とはまったく連絡がつきません。そこで、考えた挙句、被災地で活動している箕面市消防本部の職員に連絡をとったところ、「釜石市・大槌町にとにかく持ってきてほしい」と現地と話をつけてくれました。これが、現在まで続く箕面市の大槌町支援のスタートになりました。
そして、どうやって搬送しようか悩んでいたところ、箕面市が救援物資を集めているのを聞きつけた箕面市内の今井京阪神運輸(株)さんが被災地へのトラック運送を申し出てくださり、翌16日に箕面市独自で救援物資の第一陣を送り出すことになりました。
被災地には焼け石に水かもしれない、でも、たとえ小さな雨粒でも、雨になったら焼け石だって冷える・・・そんな想いでトラック搬入を手伝い、3月16日の14時頃、箕面市社会福祉協議会にご寄付いただいた救援物資と、箕面市備蓄の食料・水・毛布などが10トン車両満載で出発しました。結果として、救援物資の搬送も大阪府では最速だったようですが、これを実現したのは、いろんな人の善意の連鎖の賜物でした。
前15日の深夜23時頃には、震災初日に箕面市消防本部から送り出した緊急消防援助隊の第一陣が帰還しました。
消防本部で出迎えましたが、8名の隊員たちはみんな声がガラガラでした。消防車・救急車は、土ぼこりでドロドロでした。被災地の過酷さを垣間見たような気持ちになり、涙が出ました。とにかく無事でよかった、帰って休むようにとしか言えませんでした。
・・・こうして、震災後の数日が過ぎました。正直、混沌としたなかで、行き当たりばったりに手探り支援を続けた数日間でした。
前述のとおり(これは後からわかったことですが)箕面市は、義捐金や救援物資の受付・発送が大阪府内最速でした。たしかに、当時、他の市町村の支援の動きが多く見えてきたのは、震災の翌週半ばくらいからだったように感じます。これは、大変情けない話ですが震災が金曜日だったという不幸や、「拙速に動くと被災地に迷惑がかかるのでは」という阪神淡路大震災の経験が自制的に働いた結果、多くの関西の市町村で初動支援が遅れたケースがあったと僕は分析しています。
もちろん箕面市だって決して秩序だっておらず、不測の事態ばかりでした。
でも、この情けない経験をも自治体は直視し、決して忘れてはならないと思っています。自らの地域防災の備えに力を入れるのは当然ですが、支援についても初動を考えておかなければなりません。いつ、自分たちが支援される立場になるかわからないのですから。
その思いも込めて、初動の裏側も記録にとどめておきます。
(転載、以上)
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