この点については、まず、こちらを読んでいただきたいのです。
・箕面市の台所事情(H20決算を受けて)
・続・箕面市の台所事情(メタボ改善に向けて)
ここに書いたとおり、箕面市の最大にして唯一の財政課題は「経常赤字」。家庭でいえば「毎月の給料」よりも「毎月かかる生活費」がオーバーしてしまっていて、暮らしていくだけで赤字が出ている状態(ただし貯金があるので食いつないでいる)。
なお、この「毎月かかる生活費」のなかには、家庭に例えると、エアコンを買う、車を買う、家を買うなどの“特別の買い物”をするための臨時の支出は含まれていません。
つまり、なにか特別な買い物をするためでもなく、ただ単に「毎月かかる生活費」を賄うためだけに貯金を崩し、借金をする。・・・これが箕面市の財政課題です。まだ多少の貯金はありますが、毎年続くこの状態から脱却できなければ、5年後か、10年後か、いずれは貯金が尽き、借金は返済不能な規模となる。
本来あるべき姿は、(そもそも当たり前の話なんですが)「毎月かかる生活費」を「毎月の給料」の範囲に収めること。そして、その毎月の収支とは別に、将来にわたって役に立つような特別の買い物をするとき(臨時の支出)にだけ、基金(貯金)と借金(ローン)を含めて現実感を考えて(値段と効用をにらんで)判断するという姿。
(家庭では普通に行われているはずの)その当たり前の姿を取り戻そうと、各方面にお願いしながら急速に進めているのが「緊急プラン“ゼロ試案”」による行財政改革です。
つまり、「なぜ住民票の交付手数料までセコく見直す(200円→300円)くらいなのに、北急延伸の財政支出が可能なのか?」・・・それは、前者が「“毎月の生活費”を“毎月の給料”の範囲に収める話」であって、後者が「臨時の特別な買い物をするときに貯金と借金をみて現実感をにらんで判断する話」であって、判断のモノサシが違うからです。
もちろん、「臨時の買い物をしなければ、その分、貯金も残るし、借金する余裕もできるから、生活費を見直さなくても延命できるじゃないか!」・・・と言う人もいるかもしれません。でも、それはまさしく「延命」に過ぎません。その「延命」の原資は、先人がためた貯金と子どもたちの世代への借金。今を食いつなぐだけの「延命」は、今の世代の責任放棄にほかなりません。僕はそうすべきでないと思う。
やはり「生活費と給料のバランス」は当然のこととして均衡させる。それとは別に、臨時の支出は規模・将来への効用を考えて個別に判断する。この両者はそれぞれ峻別しなければいけないと考えます。
だから僕は、行財政改革と北急延伸の両方を、それぞれに(現実感を)判断したうえで、同時に進めています。
・・・一応、さらに言えばですが、仮に(逆に)北急延伸が頓挫して、その分の財政支出が不要になったとしても、行財政改革を止めて放置することは僕にはできません。大きな買い物をせず、貯金と借金に余裕ができるからといって、それで今を食いつなげばいいということではないからです。
今の世代の暮らしのツケは、今の世代で収める・・・それが子どもたちへの当たり前の責任と僕は考えます。
もっと言ってしまえばですが、今の世代が苦しいからといって、安易に、子どもたちの世代が活用する重要ツールへの投資を止めるというのもどうかと思います。

道路とは比較にならないほど強力なスーパーインフラ「鉄道」・・・僕は、歯を食いしばってでも将来に残すに値するものだと感じます。
行財政改革も、北急延伸も、未来のための努力という意味では同じ。
どちらに対しても、今を生きる世代の責任を果たしたいと考えています。
(北急延伸その7“歴代市長が繋ぐリレーのバトン(上)”に・・・つづく)